あれは幼稚園児の頃。
4歳だったか5歳だったろうか。
どこで覚えたのだろう?母の日にカーネーションを贈るということを。
きっかけは憶えてはいない。
子供でも近所の駄菓子屋さんや本屋や文具屋さんによく行ってひとりで遊んでいた。
近所といっても幼稚園児の脚にとってみれば、家から100m離れれば冒険だ。
そんな近所の国道の向かいに新しい花屋さんができた。
お店の名前は「ペリカン」。
花屋さんだけど、入り口が狭く奥に長い店内。
客を選んでいるような、そんな入りづらいお店だった。
店先のバケツに「カーネーション1本100円」という値札を見て、家に帰ってお財布を確認した。丸くて首から下げるひものついたやつ。
そして、100円を握りしめてペリカンに向かった。
人生で初めて買うお花。初めて母に贈るお花。
幼いながらに、100円で絶対買えると確信して買いに行った。消費税なんて無い時代。
「カーネーションを1本ください」
「お母さんに?」
母ぐらいの年齢のキレイな大人の店員さんに聞かれた。
「母の日だから」
次の瞬間、目の前の光景に緊張が走る。
1本でお願いしたのに何本ものカーネーションをブーケにしてくれた。
その光景の美しさより、1本しか買えるお金しかないのにどうしようと焦ってしまってソワソワして落ち着きが無くなってしまったのだ。
「えらいね」
「お金、100円しか持ってません」
「100円でいいよ」
「え・・・」
戸惑ったけど、好意に甘えるというより、顔にボーっとした浮遊感を感じたまま店を後にしたことを覚えている。
その帰り道のことはいまでも忘れない。
初めて買った花束を持って家に向かう気持ち。沢山の花を抱えるうれしさ。
景色がアンバーで緑色したフィルターがかっていて、いつもと違った世界に見えた。
クリーム色した歩道橋を渡りながら回想し、店員さんに親切にしてもらえたことに感謝した。
家に帰り誇らしげに母にカーネーションを渡した。
当然母は驚いていた。
幼稚園児が自分で買える量ではない花束を貰ったのだから。
「どうしたの?こんなに」
「お店のひとに貰ったの」
自分で買ったということを言いたかったのだけど、1本ではなくなったので貰ったと言ってしまった。
そして、100円だったので自分で買いに行ったらたくさんにしてくれたと説明した。
母は喜んでくれた。
その後のことは10年ちかく経ってから知るのだけど、母はその後お店に行って店員さんにお礼をしたそうだ。
そしてずっと今まで40年来の友人としての関係が続いている。
離れて暮らしていても連絡を取り合ったり、いまでは2時間ぐらいで会える距離にお互いが住んでたまに会っている。
わたしも息子さんとは幼馴染で、高校の先輩後輩の仲。その高校に進むことを決めたのも彼のおかげだし、音楽やバンドが好きになったのも彼が憧れであったことがすべて。
いまでは「おばちゃん」って呼んでて、そんな家族ぐるみの付き合いだったのだけど、母にガンを患ってしまっていると聞かされた。
20年ぐらい前にも白血病になって髪の毛が全部無くなるぐらいの治療をして元気になって帰ってきた。
今回も大丈夫と思っていた。
だけど、もう手術ができるカラダではないため入院せずに自宅療養中なのだそうだ。痛みを我慢しながら日々の生活を送っていることだろう。
来週、お見舞いに行く予定だ。
会うのは2年ぶり。
楽しみとは言えないけど居ても立っても居られない。
おばちゃんが私にしてくれたこと。思い出すと涙が出てくる。
まだ居なくならないで。
お願いだから。